2026-01-14 リハビリテーション工学協会誌掲載原稿案
足立区におけるICTを活用した新たな介護予防・認知症予防施策「あだち脳活ラボ」の展開
Section titled “足立区におけるICTを活用した新たな介護予防・認知症予防施策「あだち脳活ラボ」の展開”1.足立区の基礎情報と地域特性
Section titled “1.足立区の基礎情報と地域特性”東京都北東部に位置する足立区は、日光街道の宿場町として栄えた歴史情緒と、再開発による活力が共存する街である。広大な都立公園や人情味あふれる商店街も多く、都市の利便性と生活の安らぎが調和した特徴を有している。 総人口は70万人に達し、そのうち65歳以上の高齢者は約16万8千人、高齢化率は約24%で推移している。 都区部の中でも高齢化の進行は比較的早く、特に後期高齢者の増加が顕著である。令和7年4月における要介護(要支援)認定率は約23%となっており、生活習慣病や認知症、フレイルといった複合的なリスクを抱える高齢者が増加の一途をたどっている。 令和4年度に実施した「介護予防・日常生活圏域二ーズ調査」では、回答した高齢者の37.9%に認知機能低下のリスクが見られたほか、要介護認定を受けていない層においても、約4人に1人(23.1%)が潜在的な介護予防へのニーズを有していることが明らかになった。また、65歳以上の高齢者のうち、過去3年間で「体力や筋力が落ちた」と回答した割合は67.7%に上り、フレイル予防への早期介入の重要性が浮き彫りとなっている。これらの結果から、自宅で手軽に継続できる予防活動の普及が重要な課題であることが示された。 一方で、都市部特有の構造的課題も顕在化している。単独世帯率が約36%に達する足立区では、 孤立ゼロプロジェクトや地域包括支援センターによる通いの場支援など、日常生活における見守りや孤立予防策が不可欠な状況である。しかし、地域コミュニティの希薄化や生活圏の分断等により、既存の介護予防教室や通いの場への継続的な参加が難しい層が一定数存在する。 こうした背景を受け、本稿では行政実践報告として、地域課題を出発点とした『あだち活ラボ』の構築プロセスや現時点で得られている運用上の知見および今後の展望について報告する。
2.介護・認知症予防事業の展開における行政課題
Section titled “2.介護・認知症予防事業の展開における行政課題”超高齢社会において、介護予防や認知症への取り組みは地域社会の持続可能性を左右する根幹的課題である。足立区では、「高齢者がいつまでも自分らしくつながりをもって安心して暮らせるまち」を基本理念に揚げ、区民・専門機関・行政の三者の協働を推進してきた。しかし、高齢者数の増加と介護需要の増大が予測されるなか、従来の対面型サービスを中心としたアナログな手法だけでは、質の高い予防サービスを、より多くの区民に展開させることに限界が生じていた。行政が直面する最大の壁は、「財源・人材・場所」といったリソースの制約である。対面型の教室事業は、一開催あたりの専門講師の人件費や会場確保といった財源的・物理的負担が大きいため、開催回数や定員数に制限がかかり、事業をさらに拡売することが困難な状況にあった。また、効果的なアプローチとして「複合介入(知的活動と運動を組み合わせ、脳に多面的な刺激を与える手法)」の重要性が認識されているが、これを対面型事業で展するには分野ごとに専門講師を手配する必要があり、実施への困難性をさらに増大させていた。参加者の多様化への対応も喫茶の課題である。一般介護予防教室の参加者数は近年横ばいであり、外出困難者や就労等により日中の時間に制約がある西など、多様な生活状況にある高齢者へのアプローチが不十分であった。特に、従来の教室事業では参加者の男女比に偏りがあり、男性の参加者が少ないことも大きな懸念点であった。さらに、EBPM(エビデンスに基づく政策立案)の観点からも課題があった。これまではデータの管理方法が各事業で異なっていたため、事業横断的な分析や実人数の正確な把握等が困難であった。「どの施策がどのような高齢者に効果があったのか」という検証データが不十分なため、PDCAサイクルを迅速かつ効果的に回すことが難しく、介護保険料抑制というミッションに対しても十分な根拠を示しきれずにいた。
3.なぜ”ICTの活用”を選択したのか
Section titled “3.なぜ”ICTの活用”を選択したのか”従来の対面型事業が抱えていた「財源・人材・場所」の制約、および「データ活用」に対する課題を解消し、住民サービスの向上と行政効率化を両立するため、足立区ではICTを活用した新たなフレイル予防施策を展開することとした。この施策の核として構築されたのが「あだち脳活ラボ」(図1)である。本事菜は、より多くの高齢者が、時間や場所等の制限なく、介護予防・認知症予防に取り組める環境を装備するとともに、個々の活動記録を自動で蓄積・可視化することを目的としている。第2章で整理した地域課題を踏まえ、ICTを活用した本施策の全体像を図2に示す。
図2. ICTを活用した本施策の全体像
Section titled “図2. ICTを活用した本施策の全体像”# 行政が直面する課題
Section titled “# 行政が直面する課題”- 高鈴者人口の増加
- 財源・人材・場所の制約
- 外出国難や就労へのアプローチの困難
- 事業横断的なデータの活用や分析不足
#ICTを活用した新施策「あだち脳活ラボ」
Section titled “#ICTを活用した新施策「あだち脳活ラボ」”- 複合介入(運動・脳トレ等)のデジタル展開(LINE公式アカウントを入口とした利用設計)
- 時間や場所、回数等に制限されない環境
- 活動データの自動積・可視化
# 期待される効果
Section titled “# 期待される効果”- 複合介入の賞的・量的強化・
- 限られた財源下における「面展開」の効率性•
- 参加者層の拡大、継続率の向上・
- タイムリーな個別化支援(早期発見強化)・
- EBPN推の基盤構築
- 行政運筥の効率化
3.1. ICT導入の背景にある3つの狙い
Section titled “3.1. ICT導入の背景にある3つの狙い”1点目は、複合介入型アプローチの質的・量的強化である。認知症予防に有効とされている複合介入型の取り組みは、対面型事業では専門講師の確保や実施類度の点で限界があったが、デジタル化によって専門家の監修による質の高い動画コンテンツを自由に利用できる環境が整うだけでなく、多数の高齢者にも一斉に展開できるため、限られた財源下における「面展開」の効率性も期待された。
2点目は、アクセシビリティの追求である。「会場への来場」を前提とした従来事業に対し、本事業は個々の生活リズムに合わせ「いつでも・どこでも・何回でも」取り組める環境を提供する。特筆すべきは、LINE公式アカウントをフロントエンド(入口)とすることで、専用アプリのインストールを不要とした点である。これは、高齢層において最も普及しているコミュニケーションアプリであるLINEの活用を前提とし、SNS利用率が60代で約9割、70代で約7割に達している現状5)を踏まえたものである。既存の操作慣習を活かすことでデジタルリテラシーによる障壁を低減し、外出困難層や就労層など、これまでアプローチが困難であった層の利用も期待できるようになった。
3点目は、データに基づく個別化支援と早期発見の強化である。活動記録(脳トレ実施数、動画視聴回数等)をAPI連携(データの自動連携)により、リアルタイムで蓄積・可視化することで、これまで困難であったEBPMの基盤を構築した。また、個々の状況に合わせた適な支援や情報をプッシュ通知でタイムリーに配可能となった。認知機能チェックにおいては、「認知機能低下の疑いあり」と判定された対象者に、地域包括支援センターのご案内や区の認知症検診(あだちオレンジチェック)への受診勧奨を即座に通知するなど、デジタル技術ならではの迅速な早期支援の仕組みを確立している。
4. 産学官での協働プロセスと苦労した点
Section titled “4. 産学官での協働プロセスと苦労した点”「あだち脳活ラボ」の構築にあたり、足立区は2024年7月29日、介護予防プログラムの推進を目的とした産学共同団体である「一般社団法人MCIリング」と包括連携協定を締結した。この連携により、専門職の臨床的知見と工学的技術を融合させ、介護予防・認知症予防における科学的根拠に基づいた具体的なアプローチ手段を展開するための、運用基盤の構築に至った。コンテンツ面では、運動、脳トレ、音楽・芸術療法など多分野の動画(13種700本以上)を提供し、自宅での複合介入の取り組みを可能とした。
4.1. 「あだち脳活ラボ」の機能紹介
Section titled “4.1. 「あだち脳活ラボ」の機能紹介”(1)イベント検索区の介護予防教室やウォーキング等のイベントを、カレンダーや地域等の条件から手軽に検索できる。地域に点在する「通いの場」を可視化し、社会参加へのハードルを低減することで、高齢者の外出習慣の定着と地域コミュニティとの接続を後押しする機能である。 (2)暮らしの脳トレ1,000以上の知的刺プログラムを提供している。日常の隙間時間で手軽に取り組めるクイズ形式により、脳の活性化を日常化させる。楽しみながら継続できる仕組みを通じて、認知症予防を自分事として定着させる役割を担う。 (3)動曲能運動や脳トレ、音楽、芸術など、専門家が監修した700本以上の多角的な動画を配信している。自宅で好きな時間に視感できるため、外出困難や就労等でも質の高い「複合介入」を可能にする。多様なジャンルを揃えることで、個々の興味関心に沿った予防活動を支援する。 (4)もの忘れチェック(J- MCI)日本老年神医学会のワーキンググループにおいて考案された認知症リスクの早期発見プログラムである。全て「はい」か「いいえ」で答えるだけの13の簡易な質問に対する回答結果に基づいて、認知機能のリスクを3段階(ゆうゆう、グレーゾーン、もうちょっと)で判定する。
4.2. インセンティブによる行動変容の促進
Section titled “4.2. インセンティブによる行動変容の促進”(1)ポイント機能「あだち脳活ラボ」では、脳トレや動画視聴などの日々の活動に応じてポイントが付与される。このポイントは、利用者同士で競い合う「ランキング機能」や、「あだち脳活ラボ」内での自身の「アバター」のカスタマイズに活用でき、ゲーム感覚で楽しみながら継続できる仕組みとなっている。最大の動機付けとなるのが、65歳以上の区民であれば貯めたポイントで挑戦できるデジタルギフト「QUOカードPay」の抽選機能である。QUOカードPayは専用アプリや会員登録が不要でデジタルに抵抗がある高齢者でも使いやすく、コンビニなどでのお買い物にその場ですぐに利用できるため、日常的な利用を後押しする強力なインセンティブとして機能している。 (2)既存事業やリアルフィールドとの連携デジタル上の活動を、「リアルの外出」へ繋げるための施策も展開している。その場に行けば無茶件で1日1回ポイントが付与される二次元コードを区内公的施設や民間施設80か所以上で常設しているほか、区のイベントや介護予防教室等に参加した際にも高額ポイントが付与されるというインセンティブも導入した。これにより、自宅での活動にとどまらず、高齢者を地域の「通いの場」へと誘導し、外出習慣の定券や住民同士の交流といった社会参加を促す、実効性の高い行動変容の仕組みを実現した。
図4. ポイント機能による行動変容促進の仕組み
Section titled “図4. ポイント機能による行動変容促進の仕組み”デジタルとリアルの活動
- 暮らしの脳トレ
- 動画視贃
- 区イベント参加
- 通いの場への参加
モチベーション維持・向上
- 外出習慣の定着
- 社会参加促進
- 介護予防意識の向上
活動に応じてポイント獲得
- ランキングアップ
- アバターのカスタマイズ
- 「QUOカードPay」の抽選機能
4.3. 既存事業の発展と効率化
Section titled “4.3. 既存事業の発展と効率化”足立区では、従来の体力測定事業(「高齢者体力測定会」)を、「あだち脳活ラボ」と連携させ、「体力」と「認知機能」を併せて評価する「はつらつ測定会」へと刷新した。本測定会では、身体機能評価に加え、一般社団法人MCIリング代表の朝田隆氏(筑波大学名誉教授)が監修する認知機能測定システム「Cognitrax(コグニトラックス)」を導入している。タブレットを用いて記憶力や注意集中力、処理速度等を測定し、その結果は「あだち脳活ラボ」のマイページへ自動反映される。これにより、利用者は自身の過去の推移を容易に把握することが可能となった。こうした「工学知」による数値化は、予防活動の成果を可視化し、個別のフィードバックを行う上で不可な要素である。日々の活動の成果を、本測定会で客観的に確認できる仕組みが整ったことで、利用者のモチベーションを維持し、前向きな意欲を引き出す『好循環』を生み出すことが可能となった。また、蓄積された膨大なデータを分析・活用していくことは、区の新たな試みとしてEBPMを推進する重要な基盤となる。さらに、「あだち脳活ラボ」と連動させて、名簿管理や測定記録の入力・集計工程を自動化するなど、運営面においても業務効率の改善を図った。これにより、従来行っていた事前申込が不要となり、参加者の利便性向上にも寄与している。現在は一部試行的な側面もあるものの、今後運用の知見を蓄積していくことで、将来的には、会場運営の人件費抑制や測定時間の短縮といったさらなる事業効率化が期待される。
4.4. 開発・運用の苦労
Section titled “4.4. 開発・運用の苦労”開発・運用のプロセスでは「高齢者ファースト」を徹底し、直感的な操作性の追求に注力した。
(1)UI/UXの最適化と操作性の追求 ICTリテラシーを問わず「高齢者にも分かりやすい操作性」を追求するため、細部にわたるUI/UXの調整に時間を重ねた。具体的には、登録項目を4つに絞り込んで導入の壁を最小化したほか、フォントサイズ、配色、ボタンの配置・大きさに至るまで調整を繰り返し、誤操作を防ぐシンプルなデザインを目指した。
(2)セキュリティの確保と利便性の両立 システム設計の核となったのは、個人情報保護に不可々な「セキュリティの確保」と、高齢者が使いやすい「利便性」の両立である。高齢者が安心して利用できして、外部のセキュアな専用サーバーに隔離・蓄積する構造を採用している。個人情報の厳格な管理とシームレスなデータ連携をいかに両立するか。幾度も協議を重ねることで、安全性と機能性を兼ね備えた現在の仕組みに至った。
(3)デジタルデバイド対策の重層的展開 より多くの高齢者が安心して利用できる環境づくりを重視し、アナログ的なサポート体制も重層的に展開している。具体的には、スマホ非保有者を対象とした専用端末の2年間無償貸与事業(全5回にわたる対象者専用の講習会あり)のほか、区内公共施設での「登録サポート会」や、専門講師が個別応対する「スマホよろず相談」を毎月定期開催している。さらに、専用コールセンターも設置し、利用登録や操作に関する疑問に幅広く対応する体制を整えた。こうした多角的なサポートを実施していくことで、デジタル活用への不安感を低減し、より活発な利用の広がりを後押ししていく狙いがある。
5. 運用開始後に見えてきた成果と課題
Section titled “5. 運用開始後に見えてきた成果と課題”令和7年3月に本格始動した「あだち脳活ラボ」は、同年12月末時点で登録者数が7,460人に達し、年度目標の2倍超を達成するなど、極めて順調な滑り出しを見せている。従来の教室事業ではアプローチが難しかった層への裾野拡大に加え、特に男性ユーザーが全体の約3割を占めるなど、本取組の範囲において、デジタル活用が男性の参加促進に一定程度寄与している点が認められた。また、利用者から「『あだち脳活ラボ』を通じてこれまで知らなかった区の事業を知り、参加するきっかけになった」との声が寄せられるなど、潜在層の掘り起こしにも繋がっている。ポイントによるランキング機能やイ↓indow391ScrollingTimerOCRRecordingフルハー人材セフターや地域包宿文援センター、町会・自治会、さらには医療・介護等の関係機関といった多様な地域ネットワークによるPR協力や利用者の口コミも拡大を後押しする大きな推進力となっている。一方で、利用を一過性に終わらせず、日々の取り組みをいかに定着させるかが次なる焦点である。今後はプッシュ通知の最適化やコンテンツの更なる充実を図り、魅力あるサービスへのアップデートを継続していく必要がある。また、スマートフォン操作に不安を抱える層への丁寧なサポートは、デジタルデバイド解消に向けた恒久的な課題である。デジタルとリアルの支援を融合させ、より多くの高齢者が主体的に予防活動を継続できる環境の深化を目指していかなければならない。
6. 今後の展望・さらなる発展の可能性
Section titled “6. 今後の展望・さらなる発展の可能性”「あだち脳活ラボ」が目指す真の価値は、単なるデジタルツールの提供に留まらず、ICTと既存のリアルな場での活動が相乗効果を生む「ハイブリッド型介護予防モデル」の確立にある。行動変容のトリガーとなるポイントを活用した通いの場等への外出促進の仕組みは、今後も対象事業・施設を拡充するなど、健康増進と地域資源の活用を一体的に進め、強化していく方針である。さらに、本事業を通じて蓄積される膨大な活動データは、EBPMを加速させる極めて重要な資産となる。多様なデータを横断的に分析・活用することで、施策におけるPDCAサイクルの精度向上を目指す。また、デジタル化による名簿管理や記録業務の自動化は、現場の業務負担を軽減させ、限られた人的・財政的リソースを最適化する可能性も秘めている。令和8年度末には「あだち脳活ラボ」の利用者群と非利用者群における新規要支援・要介護認定率の比較調査を実施し、エビデンスに基づいたフレイル予防の効果を検証する予定である。
7. 専門職✕工学✕行政の協働がもたらす価値
Section titled “7. 専門職✕工学✕行政の協働がもたらす価値”「あだち脳活ラボ」の事例が示すのは、ICTを使って地域包括ケアの課題を突破しようとする自治体の挑戦である。ICTの導入はあくまで手段であり、目的ではない。真の目的は、高齢者が住み慣れた地域で自分らしく、かつ主体的に暮らし続けられる環境を整備することにある。本事業は、専門職の臨床的知見、工学的な技術力、そして行政の推進力が「高齢者ファースト」の理念の下に結集した一つの成果である。今後も、地域共生社会の構築に向けて、本プラットフォームを基盤とした多様な関係機関との連携の輪をさらに広げていきたい。今日に至るまで多大なるご尽力をいただいた関係者に深く謝意と敬意を表すとともに、足立区におけるこの試みが、全国の自治体における先駆的なモデルとなり、持続可能な超高齢社会の構築に寄与することを期待して、本稿の結びとする。